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大学院人間環境学研究院

Greetings from Dean

研究院長・学府長挨拶
人間環境学研究院長・学府長堀 賀貴

人間環境学研究院・学府は,人間と環境を一体的に捉える「人間環境学のパラダイム」の創出を理念として,1998年に人間環境学研究科として発足し,2000年,人間環境学研究科は、人間環境学研究院と人間環境学府に再編されました。研究院は従来の研究分野である都市・建築学部門、人間科学部門、教育学部門の3部門で構成され、学府には教育のために学際専攻として都市共生デザイン専攻と人間共生システム専攻の2専攻、基礎専攻として行動システム専攻、発達・社会システム専攻、空間システム専攻の3専攻の5専攻が置かれました。2005年には,臨床心理学分野の実務家「臨床心理士」養成のための専門職大学院「実践臨床心理学専攻」が新たに加わり6専攻の構成となりました。以来,文理融合型の学際的教育研究組織として着実に歩みを進めています。詳しくは「沿革」,「理念・目標」,「カリキュラム・マップ/3ポリシー」のページをご覧ください。

 

近年,人間(ヒト)をとりまく環境は我々の想像をはるかに超えて変容しています。日本ではその訳語さえも一定せず馴染みが薄いものの,世界では環境に対応する言葉としてビルト・エンバイロメント(Built Environment)という概念が一般化しつつあります。すなわち全てのヒト(人類)は,自らがつくり出した環境へ責任を持たねばならないという考え方です。地球上にはもはやヒトが手を加えていない,あるいはヒトと無関係な自然など存在しないのです。

 

これからの人間環境学は何を目指すのか,それは大きくわけて2つのミッションがあるように思えます。

 

まず,学問としての学際性のアップデートしていく。学際性という言葉はinterdisciplinaryの翻訳ですが,その前にディシプリン間のリンクは意識せず複数の領域を学ぶクロス・ディシプリナリーが必要です。次にディシプリンを深く学び,背景にあるディシプリン外の領域に気づきリンクを認知するメタ・ディシプリナリーの段階があります。そのあとで複数のディシプリナリーを獲得しインター・ディシプリナリーにやっと到達するのもつかの間,ディシプリンに変容をもたらすトランス・ディシプリナリーが待ち受けます。最後はパン・ディシプリナリーであり,統合,融合,総合された領域でごく一部の者が到達しうる世界です(私もなんとか到達したい)。しかし,自らの専門性の枠内にとどまるメタの段階でほとんどの教育,研究は成立するのも事実です。大学院での学びはメタの段階に当てはまるでしょう。学際性を標榜する本研究院・学府の学生・教員すべてがトランスを経験しなければならないとは思いません。ただ,本研究院・学府のなかから,パンに到達するような,そしてパラダイムシフトを起こすような人材(これは10年に一人でもよい)が育つことを期待しています。

 

次に,学術としての総合性のアップデートです。最初の学際はプロセスの一つであり,いわば「学問」,「学び」の領域です。学びにおいては,クロスなしにパンは存在せず,メタを経ずにインターには到達しません。つまり段階を踏んでいなかれば「学び」はないのです。ここで想い出したいのは「学術」という言葉です。人間環境学研究院・学府は学術の「学」だけでなく,「術」も重視する研究院・学府とすべきではないかと思っています。学術という単語は西周が与えたArt&Scienceの訳語らしいですが,文理融合の翻訳にArt&Scienceが充てられることもあります。アートは古代ギリシア語ではテクネーであり,ラテン語に転じてアルス,すなわちアートとなりました。サイエンスは,古代ギリシア語ではエピステーメーであり,ラテン語に転じてスキエンツィア,すなわちサイエンスとなりました。アリストテレスによれば,テクネーとエピステーメーは人間がもつ主な能力のうちの二つで,テクネーは制作に関わり「経験」がものをいう世界,エピステーメーは原理に関わり「知識」がものをいう世界といえます。アートとテクネーが同根であり,ともに「経験」がものをいう世界であることには驚きませんが,私が専門とする建築学も「経験」がものをいう世界であり本来は建築術と呼ぶべきかもしれません。「少年老いやすく学なり難し」が朱子の漢詩かどうかは怪しいそうですが,医学の父,ヒポクラテスの「人生は短く、術のみちは長い」(Ars longa, vita brevis)と混同されることも多いとききます。前者は学と術を間違っており,本来は術,アルスのことであり,英語ではアートのことです。医学もかつては医術でした。「術」はマスターするには時間がかかる,ただ人生は短い(なので,人環のすべての教員,学生に術としての文理融合を求めるのは酷であるし間違いでもあります)。昨今,「学」ばかりがクローズアップされますが,「術」なくしては世界のほんとうの理解はあり得ないと思います。たとえば大学としてQSランキングに一喜一憂し,ランクの上昇を政策目的とすることに反対はしませんが,そもそもこのランキングの主たる評価項目のひとつReputationは,論文数やインパクトなどの「学」でははかれない部分,それらでは測れない経験,すなわち「術」の部分を評価していると思うのは私だけでしょうか?建築学(術)も,教育学(術),心理学(術,とくに臨床)を含む人間科学も「術」なくしては成立しない領域であり,「経験」が物言う世界でもあります。人環はこれらの「術」を中心に学術を再総合・統合(アップデート)していくべきだと思います。

 

人間環境学研究院・学府は人社系コモンズやBeCATなど,学問としての学際性のアップデートしつつ,「術」を重視する組織,「術」を学にインストールする研究院・学府として,他の各研究院・学府との連携も強化しています。エネルギー問題への対処には社会実装としての建築(術)が不可欠であるし,人材の育成,人格の形成には教育(術)が,人間の経済活動を分析するには人間科学すなわち臨床(術)が不可欠です。本研究院・学府の存在意義はそこにあります。

 

これからも挑戦・発展し続ける人間環境学研究院・学府に,激励と応援をよろしくお願い申し上げます。