久米 弘准教授Hiroshi Kume
専攻 | 教育システム専攻 |
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部門 | 教育学 |
コース |
修士:
現代教育実践システム 博士: 教育学 |
講座 | 国際教育環境学講座 |
九州大学研究者 データベース |
https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K002250/index.html https://shaga.edu.kyushu-u.ac.jp/Eis_Eit/ |
学部に進学したとき、後に指導教官(当時の呼称)になっていただくことになる先生、細谷純が、「世界の気候」というテキストを使った授業を紹介してくださいました。実はそのテキストはわたしが中学生のときの理科の担当教諭が使用したものだったのですね。そのテキストの内容(ルール)をずっと覚えていて、そのように学習者に残るような仕事をしたいと思ったのがきっかけです。テキストの開発を続けていきたいと思っています。これを通じて、初学者の知識の構造化・再構造化方略や、土着の知識・信念体系のデータベース化に関する研究を行っていきたいと思っています。
簡潔に言うと無配置配置です。
比較研究法における構成法という手法をとっています。
調査対象が学習者なので、学校教育の場が典型的です。教える・教えられるという関係性があれば、学校教育の場を超えて、どのような場でも対象にできると考えています。
実際にテキストやソフトウェアを開発、実施、評価し、授業記録を元にしたプロトコル分析や、バフォーマンス・テスト(事前・事後の比較)を行っています。
学習者を支援するためならば「悪魔の手」も借りるような心構えを大事にしています。
自分の作ったテキストを基に授業をして、学習者が「わかったっ」という「顔」をしたときです。さらにその授業後、そのテキストの内容に関する雑談が始まったときには、やった!という思いを持ちます。授業が終了した時点で、次に備えるために気分転換する、のが、普通だと思いますが、余韻を元に、雑談が始まるわけです。逆に最も落ち込むことは笑いがとれなかったときです。
細谷純先生です。先生自身の生き方が合目的的活動でした。例えば、山登りが好きな学生に対して、先生は「なぜ山登りをするのだ?あんなとこに登って何をするんだ?山の恵さを1m恵くするとか50cm低くするとかそんな自的はないのか!」と言い放ったというエピソードがありました。教育というのは合目的的活動ですから、そのことを自分の生き方として賃いていましたね。
「専門家ならば教えることも可能である」という土着の知識信念体系が存在しています。もちろん、自らの専門の研究方法を使って、自分の授業を研究する専門家も、ほとんどいません。おもしろいのになぁ。
それから、90分の授業を作り出すのには、最低でもその5倍の時間がかかります。このことも理解されていないことの1つです。
とにか<授業研究は、おもしろいのだよん。
細谷先生の研究会に参加してテキストを作っているか、またはコンピューターのプログラムを作っているか、または家庭教師でアルバイトしているか、または細谷先生の授業(に何度も)出ているか、または陸上競技場で走っているか、または自転車で自動車に対抗して走っていたか、または食うか寝るかのどれかでしたね。
教育事象そのものが学際的な研究なので、当然のことだろうと思います。狭い分野の研究だけでは通じなくなってきており、ようやく来たかという思いです。
教室で、授業中は提示された問題に解答できるが、試験では失敗するということはないだろうか?
歴史は暗記科目だ、と思っていないだろうか?
どうすれば、カサゴを水槽で育てることができるのだろう?
こんなことを、小中高の先生とペアで共同研究を進めており、テキストやドリルの改善をしたいと密かに狙っています。
○スティーヴンJ·グールド「人問の測りまちがい」河出書房新社
○戸部ほか「失敗の本質」中公文庫
○山本七平「私の中の日本軍上・下」文春文庫いずれも思い込みが悪影響を及ぼした例
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