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大学院人間環境学研究院

Faculty information

教員情報
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橋彌 和秀教授Kazuhide Hashiya

専攻 行動システム専攻
部門 人間科学
コース 修士: 心理学
博士: 心理学
講座 心理学講座
九州大学研究者
データベース
https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K000460/index.html  http://hes.kyushu-u.ac.jp/devpsy1/

研究内容

研究テーマ設定の背景

ヒトと社会に関心があって、高校生のときは「臨床心理学をやりたい」と思っていました。それで教育学部に入学したのですが、3年生の頃まで、あまり講義にも出ずに色々考えた結果、「どうも、自分がやりたいのは臨床心理学とは違うらしい」ことがようやくわかりました。それで、ヒトを知る上で、一旦ヒトから離れるのも面白いんじゃないかと思って、理学研究科の大学院に進学し、霊長類研究所というところで6年間チンパンジーの研究をしました。博士課程の後半でニホンザルの赤ちゃん研究も始め、ポスドクで霊長研を出てからヒトの赤ちゃんの研究もするようになって現在に至ります。相手が「ことばで教えてはくれない」中で彼らの行動の特性に配慮しながら、思考や「こころ」のありようをうまく切り出すセットアップをいかに組んでいくか、という方法論の上では、ヒトの赤ちゃんの研究と、ヒト以外の動物研究には似た部分も多いのです(もちろんそれぞれに配慮すべきことはありますが)。おとなの行動研究に関しても同じことが言えます。

 

たとえば「わたしとは何か」という問いは私にはまったく意味不明で(笑)、からっきし関心がないのですが、「人間」「ヒト」には、その清濁も込みで惹きつけられてきました。学部生の頃に友だちと議論に(文字通り)明け暮れたり、いろいろとバイトをしたり、そのお金でネパールとかアフリカにひとりで出かけたりする中で、進化というタイムスパンを含めてヒトを見ることの面白さや、自然科学という方法の、限界はあるけれども「健全」な部分に惹かれるようになって今の研究をしている、という感じです。

 

研究手法

現象を観察して問うべき問いを抽出する作業が何よりも大事だし、全ての基本。ただ、自分なんてあてになりませんから、そこで見たものがどこまで「ほんとう」かわからない。見当違いや勘違い、妄想かもしれない。それを検証する方法として、そして、検証したものを他者に伝え共有する手段として、自然科学の方法はそれなりに妥当な技術だと考えています。科学は方法論でしかないわけですが、デザインさえしっかりしていれば、「データの7-8割方は仮説どおりなんだけど・・・」というときに、残りの2-3割が、自分たち自身の思考の枠組みの狂いを修正してくれることも多い。

 

調査対象や調査地についての解説

2003年から開始したボランティア・パネル「九州大学赤ちゃん研究員」に登録いただいた0歳児から5歳までの子どもさんと保護者の方に、研究協力をお願いしています。登録してくださっているのは現在900人あまり。研究の比較対象として成人のデータをとることもよくありますし、共同研究として学外でチンパンジーなどの実験をおこなうこともあります。海外にいる共同研究者のおかげで、国際比較も必要な場合にはおこなえる体制が整いつつあります。

 

分析のためのソフトウェアやツール

実験の目的に合わせて毎回、最適だと思う実験装置やデザイン、セットアップを検討しますが、なかったら実験できないのでなく、なかったら作ります。たとえば最近も、母子の相互の視線を記録分析するシステムを作る計画を、共同で進めているところです。

 

研究についてのこだわり

「こだわり」と言うことではなく、研究をおこなう上で当たり前のことちゃんとやる。海外の巨大なラボと同じことをしようとしても、スピードや規模では勝てない。でも、オリジナルなもの、「そこには気付かなかった」という視点を提示することはできる。「スキマ産業」の面白さがあるし、スキマでしかできないこともあると思っています。それから、少なくとも私たちの分野では、論文は英語で書くのが基本です。英語で書けば日本の人にも海外の人にも読んでもらえるけれど、日本語で書いたら日本の知り合いしか読んでくれない。

 

研究生活で最もわくわくしたこと、逆に最も落ち込んだこと

データの分析があがるたびに、わくわくします。「今までなかった研究」をしているつもりであるかぎり、あがってくるデータというのは、世界の誰もまだ知らない、見たことがないもののはずだから、わくわくしないわけがない。

 

落ち込んだ、ということはないですね。落ち込んでいる暇があったら、次の何かをしましょうという感じです。例えば、自分の投稿した論文がリジェクトされたり、大幅な修正が来たりすると、当然ムカっとはしますけど、それは自分たちの声がちゃんと届かなかったということで、反省はするけど落ち込むところではない。

 

研究生活で出会った印象的な人物やエピソード

チンパンジーから研究のキャリアを始めたのはすごくおもしろかったな、とは思います。6年間毎日のように顔を合わせていたチンパンジーは「パン」という名前でしたが、研究対象なんだけど研究のパートナーでもある。体重が50kg、握力が100kg以上ある「幼稚園児」が三次元に動きまわるのを想像してくれるといいかもしれません。言葉は通じない。腕っ節は強い。それでいて確実に「何か」を「もって」いる。ヒトだけの基準からすれば相当に「変わった他者」なわけです。当時はあまり感じなかったけれど、ただただチンパンジーを眺めていたり、いっしょにケージに入ってパンのお腹を枕に昼寝をしたりしていたのは、今の自分の思考の軸のようなものを形成する上でも濃厚な時間だったなあ、と思います。私は優秀な学生には程遠くて、あの濃厚な時間をもっと大切に使えばよかったとも思うのですが、その中で研究をビシビシやっている先輩・友人や先生たちにも本当にお世話になりました。

 

大学院生へのメッセージ

大学院は自分で研究をするところですから、ただ「欲することをおこなって」ください。それでだめなら研究者にはなれない、というそれ以上でもそれ以下でもないので、他の道を探すしかありません。研究の王道をいけるなら(そんなものがあるなら)それもいいし、存分に逸脱するのも面白いと思います。近年の大学は、大学院も含めて学生が「お客さん」になることをよしとしてしまっている側面があり、「教育」がサービス化することで、大学で行うべき「研究」が崩壊しかねない、というバランスの悪いことになっています(もちろんこれは、それ以前に教員がお大尽ぶっていたという悪習の反動なのですが)。教員が研究者としてロール・モデルになる、というのが本来の大学の教育のありかただと私は信じていますので、そうなるためにも、緊張感を持ってお互い真剣に渡り合いたいです。

 

大学院生の時何をしていたか

研究してました(そう見えなかったとしても)。ただ、どういう方法論をとるか、これでいいのか、これで何がわかるのかと研究をやる上での悩みも多くて、手を動かさずにいた時間もかなり長かったです。「今思えばその時間も意味があった」といえなくはないのですが、結局、手を動かしながら考えても同じことだったんですね(笑)。だったらもっと手を動かしながらあの時間を使えばよかったなあという後悔は今もあります。でも、言い訳がましいですが、日本語・英語問わず本と論文はかなり読んでいたと思います。あ。英語も読まないとだめです。英語が偉いなんてことではもちろんなくて、研究者のコミュニティを国内に閉じるのはつまらない、という意味で。

 

学際連携についての思い

分野が違っても、お互いが何をやっているか目に見えていて、お互いの気配を感じている。そして、一緒にやりたいときにできるというのが、本当の意味での学際連携だと思います。今、それができるように取り組んでいることは非常に大事なことで、「学際連携」と言わなくても、それが空気のようにあたり前になるといいですね。そのためには、研究上の連携だけじゃなくて、「一緒に飲む」とか、そういう場所も必要だと本気で思います。

 

今後の研究・実践活動について

自分の“sense of wonder”に従って、ほんとうに面白いと感じられることをやっていくことしかできません。もちろん、そのための知識も技術もブラッシュアップしなくてはいけないと思っています。世界中でやってるのに、やるべきことがまだまだ無限にあるのが、研究のすごいところです。寺田寅彦が「研究というのは、暗闇の中を蝋燭を持って歩くようなものだ」と言ってますよね。一歩進んだら、目の前は明るくなるんだけど、その先に次の闇が広がっていく。その繰り返し。パン屋さんが毎日パンを焼くように、レンガ職人さんが毎日レンガを積むように、「面白い」研究をやりたい。それをちゃんと発信する。自分たちの研究が、結果として、誰かを感動させたり誰かの「役に立つ」ことがあればほんとうにうれしいけれど、「役に立つ」ことだけを目指してあらかじめ「マーケット」を絞った研究をすることには、研究が本来もっている自由さを損なう危険もあると考えています。

 

おすすめの文献

○「利己的な遺伝子」リチャード・ド―キンス

○「内なる目 意識の進化論」ニコラス・ハンフリー

○「<子ども>のための哲学」永井均

○「アイデン&ティティ」みうらじゅん

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