飯嶋 秀治教授Shuuji Iijima
専攻 | 人間共生システム専攻 |
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部門 | 人間科学 |
コース |
修士:
共生社会学 博士: 共生社会学 |
講座 | 共生社会学講座 |
九州大学研究者 データベース |
https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K003121/index.html http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/ |
私たちの世代はバブル経済の成長と崩壊を体験してきたことで、ある環境に適合的であった生の様式が、別の環境では不適合的になるということを、身をもって体験してきました。そうしてみると、これまでの社会科学が具体的な実践性にかけてきたことを臨床心理学などから学び(危機介入の実践)、また危機が起こらないように予め社会を育成してゆく(システム形成)、学問のスタイルが必要になってきました(共生社会システム論の構築)。
社会科学では文化人類学がこれまで用いてきた参与観察法を用います。ただ、それだけだと、健常社会では良いのですが、そうでない社会状況では通用しないことがあります。その場合には、臨床心理学的な介入や、環境社会学的な介入を行いながら様子を見る危機介入を用います。また危機から学んでそれをあらかじめ回避するシステム形成活動も行います。
具体的にここ数年取り組んできているのは、オーストラリア先住民アランタ民族のフィールド、熊本県水俣市の罹災後の漁村、児童養護施設の暴力問題などがあります。これらは一見、相互に全く関係性をもたないように見えながら、近現代の金融資本主義を象徴とするグローバライゼーションのなかで生じてきたそれぞれの課題が結びついているものです。
基本的には健康な身体で、他者に卑屈になったり、偉そぶったりしない姿勢があれば大丈夫。あとは記憶を助けるための紙とペン、自分が住んでいる社会とは別の社会であるといい配慮、体験してきたことを伝える仲間がいると良いですね。贅沢を言えばデジタルカメラ、ICレコーダー、パーソナル・コンピューター、マイクロソフト社のオフィス・ソフトウェアが使えた方が良いですが、これらは電気が使えない環境では使えません。
融通無碍に、自分の人生において必要だと感じてきたものを取り込んできたので、「最初から自分の<研究>に」こだわらない、というところでしょうか。それが最初に来ると、悩みも限定される分、研究者人生が豊かに膨らんでゆかないような気がしますので。
やっぱりねぇ、オーストラリア先住民たちのところで、一緒に狩猟や採集に出かけた時にはわくわくしましたねぇ。土の香りのする中、そばを通る人に気づかれることもなく、満天の星空を眺めながら、夜泣き鳥の声を聞いていた夜。ホームレスと思われていた彼らが、実は特定の丘の近くで寝ていて、それが彼らの出自に関わる神話の場所だと教えられた日。落ち込みはしませんが、こういう関心はなかなか共有しにくいことですかね。
いやぁ、これはちょっと多すぎるなぁ。どのコミュニティでも、1人位は「あぁ、将来こういう人になりたいなぁ」と思わせられる人はいて、私には幸い、恩師も複数います。ただ大学院生の頃、就職するホームレス研究者を送る会を博多駅のコンコースで開催したのは思い出深いですねぇ。ホームレスの親父さん達と飲んでいたら、隣にいた親父さんが自分の出身(埼玉県本庄市)のすぐ隣の市から来ているホームレスだったこともあります。
まぁ、好きなことを見つけて頑張りなさい、ということでしょうかね。私が博士課程で「狩猟採集民を研究する」と思い立った時に、近くにいた人たちからは誰からも賛意を得られなかったのですが、自分が素直に好感をもてて、人生の時間とエネルギーを割く甲斐があったのはそれだけだったので、「他人に褒められるために研究をするわけじゃない」と、自分の実感を頼りにしました。そういうことに打ち込んでいる人の表情はいいはずです。
研究と野宿の繰り返しでしたね。研究は研究で睡眠時間を削ってやりましたよ。アルバイトを効率のいいものにして、食事をとると眠くなるからなるべく食べないようにして、食べたらシャワーを浴びて、眠気をやり過ごして、日々、読書の最後には、文字が見えていても意味が入ってこなかったり、視界が狭くなったり、背中に虫唾が走るまで読んで、倒れるように寝ました。生命を賭けられるものに出遭った時はエネルギーが湧きましたね。
まぁ必要と関心に応じてやることでしょうね。「学際」を目指してやるのは、「研究者」になろうとして、研究するのといっしょで、本来その先にあるはずの「対象」や「フィールド」が視野から消えがちです。そういうものは豊かになりません。必要に応じて、同一のフィールドで、他の研究者たちと垣根を越えて悩みと喜びを共有する、関心に応じて、これまで自分の学問になかった研究方法を異分野から学ぶ、というのが自然な流れでしょうね。
私は自分の学問のスタイルを作るのに、時間がかかってしまいましたが、方針はなんとなく見えてきたので、あとはこれを豊かに育ててゆくことかな、と思います。研究者の仲間も順調に増えてきており、今のところ世界から与えられたものに比べ、お返ししたものが少ないからですね。
○ベイトソン、G.1990(1972)『精神の生態学』新思索社
○ウォーラーステイン、I.1997(1995)『新版 史的システムとしての資本主義』岩波書店
○田嶌誠一2011『児童福祉施設における暴力問題の理解と対応』金剛出版
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